2016年04月08日
「字」は「体」を現す
こんにちは、高津和彦です。
4月新年度を迎えた皆さんに、今回は少し啓蒙的なことを。
いつもとは雰囲気を変えて、趣味を通して実感したことをお話しします。
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今、僕は古文書に凝っている。
それは各地の博物館や資料館に行った時、「これら江戸時代の古文書が
自由に読めたらいいなぁ」と思ったのがきっかけだ。
昔は仮名も漢字から派生してきたものを自由自在に使っていたのだ。
たとえば「あ」は現代のひらがなには一つしかないが、江戸時代には
阿、安、愛、悪、からの崩し字でいくつもの表現をしていた。
「い」なら、以、意、伊、移、異と5つ。
いわゆる草書体みたいもので、活字ではないのでここには書けない。
そしてその崩し方もいろいろ、個人差もあり千差万別なので、
ほんとうに判読がどれだけ複雑だったことか!?
今なら「あ」から「わ」まで、それぞれに決められた1字のみ、それが約50文字。
崩し方での差なんてほとんどないので判読というものではない。
で、古文書に学び判読するその過程で、自分で実際にその字を書いたりもする。
そして、それによって、字が上手くなってきたことを実感する。
文字に幅というか、深みが出てきたように思う。
しかし今の悩みは、それを書いても、解ってもらえて評価してくれる人が
いないこと。それはこの平成の世では仕方のないことか。
思えば、僕の母は字の書き方に非常にうるさい人だった。
小学校のひらがなや漢字の鉛筆習字の宿題、たった1枚のプリントに書く前に
まず練習で何枚も別の紙に書かされて、注意されて、その後、ようやく
清書させてもらえたことを覚えている。
その時は、学校から持って帰ってきた紙1枚に「1分でササッと直ぐに書いたら
あとは遊びに行けるのに」といつも思っていた。
が、その基盤があってこそ、字が上達してきたと言えるのかもしれない。
母に感謝。
ところで最近、著書に「サインと、"一言"を下さい!」と言われることが多い。
パッと一言を考えて自書するのだが「先生、字がきれいですね!」って
言われることが多い。こんな所で役立っているのは嬉しいことだ。
こう書いていて、ひとつ思ったことは、各地の博物館には、しばしば
偉人、著名人、成功者の自書が展示してある。
そして、
「字がきれいだと、その人が輝いて見えてくる」
良い例。今パッと思い出して;
東京、飛鳥山公園にある渋沢資料館の渋沢栄一の自書。
下関、春帆楼にある伊藤博文の揮毫。
その逆の例;
ある年の正月のTV番組で色紙にマジックで書いた、某政党党首の今年の一言。
それを見て、こんな字の人に日本を代表してほしくないと一瞬で思った。
話し方を極めるのも大事なことです。
が、もう一つ。
「字」は「体」を現す。
けっして過言ではありません。
posted by パブリックスピーキング・トレーナー高津和彦 at 17:10| 伝える力
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