2016年01月22日

正しい常識で判断しよう


こんにちは、高津和彦です。
今回は問題提起をひとつ。

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火野正平が自転車で全国を巡るTV番組シリーズをよく見る。
大胆不敵な行動がいい。
ちょっと照れ屋だけど。

その中で。
彼が道端の湧き水を飲むシーン。
自転車で山越え谷越え、きれいな湧き水があったら、そりゃ飲みたくもなるだろう。

その時、画面下に小さくテロップ。

何と。
「自己責任で飲んでいます」!!


どういう意味?
湧き水を飲むのに、誰が責任を負う?
彼が好きで飲んでいるんだろう?

自己責任、当たり前じゃないか。
それを本人がして、テレビに映して、誰かがその責任を番組制作者に問う?

おそらく問う人間もいるんだろう。
しかし大多数の視聴者をすべて非常識人のように見るべきではない。
中には、常識外の行動を取る人もいるのかもしれないが。

もし制作者が湧き水を飲むのが悪い行為だと判断したのならば、
テレビで放映しなければいいだけの話じゃないか。
それを自分で映しておいて、いちいち断りを載せるなと言いたい。


そういえば昨今テレビでは、どこかへ入る、訪問する、行動する、
そのたびにテロップ。

「許可を得て入っています。」
「特別に許可をいただいています。」
「ご本人の了解を得ています。」

そのうち映画でも、市街戦闘シーンや、XX大学の校門の表札を「東都学園大学」
と張り替えた場面で、

「関係者の許可を得ています」

のテロップが出てくることだろう。


日本全国、"許可求め"社会。

自分が責任を問われないよう、できるだけ「許可」という形をとって、
相手にゲタを預ける。


この風潮が話し方にも大きく影響している。

それは、みんなが多用する、「〜してもらっていいですか?」のフレーズ。

「ご記入下さい」と言えばいいものを、
「ご記入いただいていいですか?」

記入しなきゃ絶対受理しないのに。
わざわざ許可を求める表現にする。

「要求」を「許可」にすり替える。

自己保身のために許可を求めてもいいだろう。
しかし記入する気がある人に、わざわざ一歩下がって許可を求めると?
そこに「気持ちの段差」ができる。
それが「伝わらない」の始まりなのだ。


あるアメリカ人が言っていた。
「日本は、許可が出てないと人はやらない」
「アメリカは、禁止されてなければ常識判断でやる」
「欧州では禁止されててもやる」

(僕はそうは認識していないけれど)



正しい常識を持とう。
その常識で判断しよう。

それに従った言動をしよう。
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posted by パブリックスピーキング・トレーナー高津和彦 at 17:10| 問題提起

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